国民皆保険でアメリカの国民は健康になれるのか?

2010年3月21日日曜日、アメリカ合衆国下院にて、オバマ大統領が最重要課題として掲げてきた医療改革法案が、賛成219、反対212で可決されました。
法案は、大統領の署名を経て成立されます。
この医療改革法案ですが、アメリカでも国民保険(国民皆保険)が実施され、これを実現させるために、医療保険加入を事実上義務化するといった内容です。
予算規模は9400億ドルに上り、CBO(Congressional Budget Office: 議会予算局)によると、3200万人の無保険者が解消されるとのこと(この公称値、ちょっと少なくないですか? 5000万人はいると思いますケド、、、)。
政府の介入や財政支出の拡大を懸念する共和党は、この法案に強く反対していました(この日の投票も、共和党は全員反対)。
この法案が決まれば、アメリカも自分たちのことだけで精一杯になって、他の国どころではなくなるかもしれません(その方がイイかも)。
サテ、今年は2010年です。
1620年12月26日、メイフラワー号に乗ったプロテスタント、ピルグリムファーザーズ(イギリスの清教徒: ピューリタン)が、マサチューセッツ州のプリモスに到着してから390年。
その後、ネイティブアメリカンから土地を奪い、1776年7月4日にアメリカ独立宣言して234年。
1854年3月31日、日本に開国を迫り、日米和親条約を結ばせて156年。
ハワイだと、1894年7月4日、アメリカが勝手に新憲法を発布し、ハワイ共和国を宣言してから106年(ちなみに、パイナップルのドールでお馴染み、ドールフードカンパニーの創業者ジェイムス ドールは、この時に就任した大統領、サンフォード ドールを追ってハワイに移り住んだ、彼の従弟(いとこ)です)。
最近だと、2003年3月19日、イラクに侵攻してちょうど7年。
まことにおせっかいで身勝手な国ですが、その傘の下で、平穏に暮らせている国もあるわけです(日本もそうですよね?!)。40年後の2050年、いや、10年後の2020年、うんにゃ、5年後の2015年でもいいや、アメリカはどんな国になっているのでしょうね。
現在のアメリカ合衆国は、上位1%の富裕層が保有する資産が、下位95%の国民が保有する資産を上回っています。アメリカの人口は3億人ですので、300万人の大金持ちの資産は、小金持を含む2億8500万人の庶民の全資産よりも大きいってことになります。
「アメリカンドリーム」と「弱肉強食」って、諸刃の刃って感じがしませんか?
成功すること、すなわち、勝ち抜き、勝ち残ることに対して、常にプレッシャーを背負っていませんか?
自分にも、自分の身近な人たちにも、それを要求していませんか?
全部勝とう(得しよう)としていませんか?
全部勝てたら(得できたら)嬉しいと思っていませんか?
自分以外のせいにして、勝ち残ろう(得しよう)としていませんか?
そしてひとたび成功(富や権力)を手に入れたなら、それらを持たない者たちに対して疑心暗鬼になって、彼らが這い上がろうとするのを蹴落とし続けてでも、それを死守しようとしていませんか?
成功者がいつまでも勝ち(得し)続けられるような仕組みを作って、自分たちの既得権益を守ろうとして、多少卑劣な手を使ってでも(それを正当化して)、弱者からの搾取システムを維持しようとしていませんか?
「適者生存」、「弱肉強食」の思想を、それがアメリカの活力の源となるものとして、つねに合理化、正当化していませんか?
「負けて悔しかったら、打ち負かせられるように努力すれば?」というのが、弱者に対する基本姿勢であったりしませんか?
でもって、この「悔しさ」こそが敗者や弱者が奮起する動機付けとなって、アメリカの社会を活気付けているのだから、勝者が自らの犠牲を払ってまで、弱者を援助する必要はないと、考えてはいませんか?
負けた(損した)人のこと、考えたことがありますか?
勝たせて(得させて)もらったと、考えたことはありますか?
「犠牲」を感じながら「富」が巡ることは、まずありません。ということは、富が巡っている人の思考には、「犠牲」という概念は微塵もないということなのかもしれません。
何かを犠牲にしたり、誰かが犠牲になったり、という観念がなく、「私はこの世の宝物。世界中の人々が、みんな私のことを助けてくれる」と思っている「受け取り上手」な人は、確かにお金持ちが多いように思います。
そういえば、お金のカリスマ、ハーブエッカーも言っていました。「お金持ちになれる人は、富を受け取るのが上手い」と。こうも言っていました。「お金持ちになれる人は、両方とも手に入れたいと思う」と。流石、お金持ち!

富裕層への増税と、貧困層の言い分


「金持ちを無くしたからといって、貧乏人が豊かになれるわけではない」と、サッチャーさんは言っていました。
「雇用機会を創出する」といった格好つけた言い方がありますが、そこに主従関係が確立した時点で、一種の奴隷関係が確立したようなものです。
1862年9月22日、エイブラハムリンカーン大統領が最初の奴隷解放宣言をしてから、今年で148年になります。
「この条約は、彼らインディアンの土地を自分たちが領有して入植してもよいという神の暗黙の許可である」と、自分たちの侵略を正当化したピルグリムたち。
www.hawaiicrazy.com/2008/11/post-193.html
1857年、「黒人奴隷ならびにその子孫は、所有者の財産であって合衆国の市民ではない。劣等人種である彼らは、白人と同等の権利をもつことはできない」と裁いた、アメリカの最高裁判所。
「すべての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって一定の奪いがたい権利を与えられ、そのなかには生命、自由、および幸福の追求が含まれていることを、我々は自明の真理であると信じる」と謳われた、1776年のアメリカ独立宣言。ここにある「すべての人間」の中には、インディアンや黒人は含まれていなかったのですね(ちなみに、アメリカ独立宣言の起草者、トーマスジェファーソンは大奴隷主)?
アメリカ合衆国が現在にいたるその影には、インディアンから略奪し、黒人奴隷から搾取しながら繁栄してきたという背景があります。
アメリカの富は、元々タダを元手に繁栄してきたもの、略奪と搾取によって得たものだとしたら? 富を奪って得た人は、富を奪われないように必死になります。なぜって? 答はカンタンです。「奪った」からです。
自分がその富を正当な手段によって得たのであれば、人はその富を他人に奪われるという不安に、常に苛(さいな)まれるようなことがあるでしょうか?
今回の国民皆保険は、アメリカの繁栄の歴史を清算する手段のひとつとして、受け止めています。
ここまで、アメリカ合衆国下院にて医療改革法案が可決された2010年3月21日の日曜日に書いて、フォルダの中にほったらかしたままになっていた内容です。
そして11月の中間選挙。
結果、オバマ大統領の2年間は否定されました。

自分のことは自分で


アメリカの人たちは、国民皆保険が国民を(心身ともに)健康にするとは考えていないようです。
自分のことは自分で。
「大草原の小さな家」の頃のようなフロンティアスピリットが、まだ残っているといえば聞こえはよいかもしれませんが、政府にコントロールされたくないというアメリカ合衆国民は、大きな政府は必要としていないのですね。
国民皆保険のおかげで、安心して暮らせる世の中をありがたいと思っていた人はたくさんいたことでしょう。と、同時に、それを逆手に利用(悪用)しようとする、怠惰で愚かな人もいることでしょう。
自分のことは自分で。
豊かな人(経済的にも精神的にも)ほど、食事や健康、そして保険に、お金と時間を費やしています。だからもっと豊かになる(経済的にも精神的にも)のは当たり前のことです。何かあった時の準備もできていますので、それだけ安心して暮らせます。
自分のことは自分で?
キリがないのでまとめます。
豊かさとは何でしょう?
豊かさとは、持っていることではありません。
豊かさとは、与えるものをもっているということです。
では、
貧しさとは何でしょう?
貧しさとは、持っていないことではありません。
貧しさとは、与えるものが何もないと思い込んでいることです。
お金を持っていようがいまいが、与えるものをもっているとしたら、それは豊かであるということ。
お金を持っていようがいまいが、与えるものが何もないとしたら、それは貧しいということ。
今回の中間選挙の結果をみて、できる限りポジティブに考えてみました。この国には、アメリカには、国民皆保険などという国がコントロールするような仕組みがなくても、相互互助の可能性があるのかもしれないと。
今年の8月4日、ウォーレンバフェットとビルゲイツ、奥さんのメリンダさんが呼びかけて、40人の億万長者たちが、自分たちの資産を「ギビングプレッジ(The Giving Pledge)」という慈善団体に寄付するキャンペーンが、各メディアでも取り上げられ話題になりました。今年の寄付金額は、3038億ドル(8月頃の為替レートで約26兆円)。
The Giving Pledge
国がやらなくても、こういう一部の人たちが、自分たちのさまざまな経験を生かして、これからのアメリカを支えていくのかもしれません。
もちろん、国民一人一人の努力が必要なのはいうまでもありませんが、自分たちが得た富を再び社会に分配し、より良い国へ向かうことを願っている人たちが、アメリカにはたくさんいます。
こんな、アメリカの富裕層たちの社会貢献に対する意志の強さを目の当たりにすると、「アメリカってすごいな」と、素直に思います。
5年後の2015年、イヤ、次の2012年の大統領選挙、そして迎える2013年、アメリカはどんな国になっているのでしょうね。
その時、自分は、
どうなっているんだろう?
皆さんは、
数年後の自分を、
ちゃんと描いていますか?
追伸:
ちなみに、日本の寄付市場は、アメリカの100分の1もありません。歴史的、文化的な価値観の違いとか、倫理的な問題とか、理由はいろいろあるのでしょう。アメリカのことばかり書きましたが、案外日本人も、社会的弱者に対しては冷淡であると、個人的には思っています。
アメリカの歴史は侵略の歴史であると書きましたが、最近、日本もどこかのだれかに奪われてしまうのではないかと、心配になる時があります。穏やかで和やかで人の良い日本人。そういう人となりを何とも思わない人たちもいることを、少しだけ知っておくことも、これからの時代には必要かと思いますよ。

コメントをどうぞ