ハナウマ湾の海洋保護区化から40年

ハナウマ湾が海洋保護区に指定され、今年2007年10月で40年を迎えました。
ハナウマ湾は、美しいサンゴ礁と熱帯魚の宝庫として、ローカルはもちろんツーリストからも親しまれてきました。今から40年前の1967年に海洋保護区に指定を受け、現在に至ります。オアフ島内の海洋保護区としては、最も古いものとなっています。
ハナウマ湾の人気は、1980年代には連日1万人以上が訪れるほどとなり、サンゴ礁は損傷を受け、魚の生息数も激減してしまいました。このため、ハナウマ湾内の自然環境を回復させるべく、1990年代になって訪問者数を全盛期の1/3に制限しています。
現在、ハナウマ湾のビジターセンターでは、ハナウマ湾の海洋環境の特徴や状況を理解してもらうために、そのための教育ビデオの鑑賞を、訪問者に対し義務付けています(居眠りしないでしっかり観ましょう)。
自然と人間が共存することはもちろん可能です。
ですからちゃんと、学びましょう。
Hanauma Bay Nature Preserve, City and County of Honolulu
www.honolulu.gov/parks/facility/hanaumabay/
先週のメールマガジンで、先月から毎週ある方と問答をしていると書きましたが、先週のお題であった「智徳と経営 如何」のアドバイスは、以下の通りです。
世のため 人のため 志を立て 智徳を働かせて
生きることが 智徳の経営です
世のため人のために、志を立て智徳を働かせて生きることが、智徳の経営だそうです。そして、人ひとり一人は、自分の人生の経営者である。面白いですよね。好評につき(?!)、今週も先週の問答をご紹介させていただきます。参考までに、またまた僕の答を添えておきますね。
> 言葉と信念と現象や 如何
言葉が信念を固め、
信念が言葉を選び、
そしてそれが、現象となる。
現象、ムーブメントって感じっすね。
ブームのような一過性のものではなく、
淡々と脈々と語り継がれていくような感じです。
> 言葉を磨くことで 信念生じ
> 信念を行動することで 現象が生じます
ゲ、爺、書いてあるし、、、(哀)
あ、でも、よく読み比べたら、チョット違いますね?!(笑)
そうなんですよねぇ。
言葉ってとても大切ですよね。
言葉は人を幸せにも不幸にもしますから。
> はじめに言葉ありき 言葉は創造と共にあった
今から4000年くらい前、一種類だった言葉を
途中でたくさんの種類に変えてしまったとか?!
(バベルの塔を造っていた頃でしたっけ?)
> 永遠のメッセージは いつも新鮮に輝いています
そういう人々の心に残るメッセージを、
ひとつでも良いから世に残したいものです。
> 言葉が文字を得て 文化が現象したこと
> 歴史が伝えています
今や生活の一部となってしまった、
切っても切れないインターネット。
まさに世は、常時接続が当たり前になりました。
ここ2〜3年で多少変わってきましたが、
インターネットが一般的になりつつある頃は、
今に比べると、圧倒的に文字中心のメディアでした。
ブログなどにより、
たくさんの人たちが
自分の気持ち(想い)を文字にしています。
自分の気持ちを文字(言葉)にしてみるって、
自分をあらためて見つめる意味でも、とても良いことですよね。
いろいろなものごとが発達し、深く研究され、
言葉を巧みにあやつり、良くないことに使う輩もいます。
1970年頃からでしょうか、セミナーはもちろん、
マーケティングや広告など、ありとあらゆる業界で駆使されている
NLP(神経言語プログラミング)なんて、良くない方向に利用しようと
思ったら、エラいことになりますもんね。それを規制する法律って、
言論の自由の元、未だ、明確に定められていません。
インターネットは、まさに玉石混合の世界です。
読み手として、
様々な情報に対し、
それが適切かどうかを
自分で判断できる能力が必要とされ、
そしてそのための訓練は必須だと思っています。
> 言葉と文字が 光を得たこれからは
> いかなる現象を歴史が綴るのか
真の光を得た言葉に、
ひとつでも多く出合って(出会って)いきたいものです。
そしてどんな歴史が刻まれていくのか、興味津々です。
> それは 今を生きる私達が決めることです
最近、ふと気がついたことがあります。
眼で読むのではなく、心で読むこと。
ま、実際には、大概、眼で読むわけですケド、
字面からだけではなく、それが書かれた背景や、
それを書いた人の心の内を想い描きながら読む
とでも言いましょうか、、、
眼でばかり文字(だけ)を追っていると、
左脳ばかりがカリカリ働くのか(?!?)、
意識が理詰めでしか働かず、
アタマではなんとなく分かったつもりでも、
肚(ハラ)に落とせていないというか、
いまいちピンとこないことがあります。
そんな時、
挿絵をはじめ、絵本や漫画、冩眞、映画、音楽など、
ビジュアルがカバーしたりフォローしてくれることで、
創り手(書き手)の想いをより鮮明に伝える手助けをしてくれます。
もちろん、文字だけだからこそ
読み手のイマジネーションで描かれる世界があるでしょう。
ビジュアルが、
人々の無限の可能性を秘めたイマジネーションを
スポイルしてしまうことだって、時にはあると思います。
文字だけでもそう、
ビジュアルだけでもそう、
書き手(創り手)がどんなに工夫したとしても、
読み手(受ける側)に対し、誤解を及ぼすこともあるでしょう。
その人がその人なりに
その時点で理解できたそのことこそが、
その人の今の自分を
そこに映し出している
とも言えるのではないでしょうか。
(そのそのそのそので申し訳ありません、、、)
言葉から受ける人々の考え方や感じ方は、
その人たちが属している社会や、
その人たちが生きている時代までをも
映し出しているのかもしれません。
そんな時には、「深慮遠謀」という言葉を思い出しましょう。
もしかしたら、その言葉の裏側に、
書き手の本当の想いが込められているかもしれません。
表だけを見てとるも良し、
裏を考えてみるもよし、
裏の裏を読むもまた良し。
すべては、その時のあなた次第ということですね。
だとしたら、その時々に、
自分が読むべき本(言葉)があっても良さそうです。
(単に読むのが早すぎただけってこともあるでしょうから)
> 問答で 明るく楽しい未来を綴りましょう
やはり人間が口から発する言葉を直接その場で耳にする時、
そこには、その言葉以上の何かが含まれて伝わってくると感じます。
液晶やフルスペックハイビジョンで
テレビがいくら画面が大きく、
映像がいくらキレイになったとしても、
いつもどこかでライブコンサートがあり、
いつも誰かの講演会が行われているのには、
その場でしか伝えられない、
その場にいる人にしか伝わってこないような、
言葉では言い表せられないような何かが、
何かが確かにあるのだと思います。
そしてその場は、
語り手の意識(想い)だけではなく、
同じ目的を持って一カ所に集まった
聴き手(聞き手)の人たちの想いとも共鳴し、
さらに大きなエネルギーに包まれるのでしょう。
言葉はエネルギーを伝えるためのとても便利な道具で、
その人が発しているエネルギーとともなうことでさらに光り、
そして、それを聞く人とが共感することでさらに大きくなる。
おぉ〜、それが「感動」ですよね!
感動は、ムーブメントを起こします。
そのためにも、
言葉は正しく使う必要があり、
そのためには、
使う言葉は自ずと選ばれて(磨かれて)いく必要がある。
だからこそ、
智徳と自分の人生を経営しているという意識が大切なのですね。
なるほどぉ、、、
ハナウマ湾の海洋保護区化から40年 アロハクラブ 2007年10月28日〜2007年11月3日 Vol.2 No.43

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